近江と綿

今回はちょっと本業のオーガニックコットンに関わりのある内容を調べてみます。、近江(現在の滋賀県)と綿の関わり合いについてです。
日本と木綿の関わり合いは、「日本後紀」によると延歴18年(799年)に三河(愛知県)に漂着した崑崙人によって持たらされたのが最初とされます。当初、初期の鉄砲である火縄銃の火縄に使用されていたそうで、次第に上流階級の衣類に使われるようになったようです。その後日本でも綿の栽培を試みるのですがうまくいかず、中国や朝鮮半島から綿布の織りあがったものを輸入していました。やがて17世紀ごろから薩摩(鹿児島)、三河(愛知)、紀伊(和歌山)などの温暖な地域で栽培が出来るようになったのですが、当時の米の値段に比べて10倍もするような庶民には手の届かない高価な贅沢品として扱われていました。そうなると何時の世も同じです。農民はそれまでの稲作から綿花の栽培の方が儲かるぞ!と転作を行う動きが活発になり、幕府ではこのままいくと稲作が疎かになってしまうぞ!と危機感を恐れた結果、綿花の栽培を規制したそうです。
日本ではそれまで人々は麻の着物を着ていたのですが木綿の着物を着てみて、あまりの心地よさとふんわり暖かい肌ざわりにさぞかし驚きと喜びを感じたことでしょう。ちなみに当時の木綿は高価な贅沢品で庶民には縁遠く手が届かないために、麻の布地に柄として木綿を縫い込みささやかに楽しんでいたそうで、これが後の刺し子の始まりたと言われています。
日本で栽培された綿花は「和綿」と呼ばれ、江戸時代には近江(滋賀県)、伊勢、三河などが綿を使った糸や布の生産が盛んにおこなわれていました。そして、後の明治維新後に富岡製糸場(群馬県富岡市)から帰郷した彼女らの技術を生かし、彦根の地に県営製糸場が設立されることになりました。で、普通に考えてみて、この当時の綿の栽培って農薬なんて無かったと思うんですよね。全て有機栽培で、もちろん除草剤や防虫剤なども無く、、、これって!まさしくオーガニックコットンなのではないでしょうか!!!オーガニックコットンとは3年間無農薬で栽培された農地で作られた綿花を・・・(詳しくはコチラ)
昔の人々は綿の着物を着て、さぞかし心地よい日々を過ごしていたのでしょうね。